最近思うのですが

「〇〇さえあれば、なにもいらない!」

って、言いますけど

そんなこと、ないな。って思う。

 

いきなり何の話かって感じですよね 笑

 

いや、たとえば、以前から私は

「歌が歌えて、お客さんに感動してもらえたら、何もいらない!」

と、まあ本当にそう思うのですが

でも、その「感動」を創り出すためには

誰かの協力とか、お金とか、時間とか、ほんとーにいろいろなモノが必要なわけです。

 

「これさえあれば」と思うほどに大切なもの。

気持ち的には、本当にそれさえあれば何もいらない。そのくらい大切なもの。

でも、だからこそ、それを守るために、それをずっと手にするために

逆にいろんなものが必要だな、と思う。

 

もっと青い話をすると、

昔は恋をすると、「この人さえいれば何もいらない!」と思うことがあった。

彼と一緒にいるだけで、私は幸せ。

それも確かに間違っちゃいないと思うんですけど

現実的に考えたら

その大切な彼を守るために、本当は色々なものが必要だったのだ。

まじで彼を守りたいと思うのなら、

自立してなきゃいけないし、お金も必要だし、精神的な強さも必要だし

たったひとつの大切なものを守るために

無数のものが必要なのだ。実際問題は。

 

「これさえあれば、何もいらない」

と思うことができるほどのものに出会えるということは、本当に素晴らしくて

かけがえのないことだと思う。

実際、ライブでお客さんと感動を共有できた時の喜び

あれに勝るモノは無い。

それに出会えて、私はほんとにラッキーだと思う。

だからこそ、それを守るために、

これからも何度でも出会うために

いろんなものが必要なんです。

たくさん学ばなければいけなくて、たくさん成長しなきゃいけない。

そうやって進んでいくから、人生はおもしろい。

 

感動は素晴らしい。

恋も素晴らしい。

すべてどうでもよくなるくらい、心がいっぱいになること

それは本当に素敵なこと。

 

けれども現実は続いていく。

それは別に冷めた話でもなんでもなく、リアルな話で

その現実において感動を成し得ていくからこそ、意義深くておもしろい。

 

だから、常に、現実というこの、たしかな感触がある世界で

ここにしっかり二本足で立った状態で

浮かれたり悲しんだり喜んだり、存分にやっていったらいいと思う。

 

今を生きる、ってことは、今が良ければ後のことはどうでもいいということではなく

遠く、果てのないはるか未来を見つめながら、

今自分の足の下にある、地面の感触をたしかめながら

自分の足で進むということ。

未来が期待通りにいくかどうかは、誰にもわからない。

それがたとえそうでなかったとしても、それでも進むことができるかどうか。

 

うーん。いろいろ書いちゃった。

でも別に私はいっさい悩んでないです。

ライブ前だからか、ちょっと語りたい衝動があって…笑

 

誰にともなく言ってみる。

この二本足で、この地面から離れることはできなくて

できるのは、ただひたすら歩くことだけ。

だからこそこの生はおもしろいのだ。

 

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