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プロメテウスの火

昨日、テレビで夜のニュースを見ていて、

どこだかの巨大催事場で「防災フェス」的なものが開かれたという話題。

昨年を機に、防災意識ってほんとに高くなったなと思うのですが、

テレビに映る防災グッズのバラエティに度肝を抜かれた。

 

今ってほんとにすごいんですね。

会社に泊まる用の備品とか、気配りが半端ない。

とりあえず生きること最優先!には変わりないんだけど、

床で寝るのはきついから、空気でふくらむマットとか、

女性に雑魚寝はきついから、簡単に作れる間仕切りとか。

 

さらに一番驚いたのは、津波から非難できるカプセル!

まるでドラゴンボールでサイヤ人がやってくるときのアレのような、まーるいカプセルに入れば

津波が来てもプカプカ浮いて、どこかに運ばれて助かるのだ!

これを見たとき、私は近未来にドラえもんが誕生することを確信した。

人間はすごい。きっと、やってのける。

 

まず生きる。そして、生き延びる。

その生き延びていく中での辛さを、どうにかして軽くしようという意志。

そして、今までの経験、全部無駄にしないという執念にも近い意志。

生きることへの執念、渇望。

これは本当にすごい。

もしかしたらたとえ地球が滅亡しても、人間は生き残るかもしれない。

そう思ってしまったほど、人間のポテンシャルって半端ないと思った。

 

私は科学の歴史についてはまったく無知ですが、

でもなんとなく感じるのは

いろんな人が、いろんな人の苦悩をどうにかしようと、軽減したいと

そう思って必死に考え、思考錯誤を繰り返して、

たどり着いたのが、今の科学の結晶なのではないのかな。

私は当然ですがまったく発明とかできないから、どなたかが発明してくれた機械やら装置やらを

ありがたく使わせてもらうことしかできないけど。

たとえば今このブログを書いてるこのパソコンも、インターネットも

誰かが苦労の末に発明してくれた装置である。

 

 

科学とか、いろんなものの例え話に使われる、有名なギリシア神話で

「プロメテウスの火」というのがあります。

 

 

昔、人間は火を持っていなかった。

全能の神ゼウス(一番えらい)が言うには

 

「人間に火を与えてはならない。

火は人間に力を与えてしまう。

争いを呼び、災いを呼ぶ。

そして我ら神々にとって、人間は脅威となるだろう」

 

だから人間に火など必要ない。

温かさなど知らないほうがいい。

明るさなど知らないほうがいい。

無知であれば、幸せを知らなければ、不幸になることもないのだ。

 

けれどプロメテウスは、ゼウスの意に反して天上の火を盗んだ。

そして人間に与えた。

暗闇を恐れ、寒さに震える人間たちが

かわいそうだったから。

 

プロメテウスはそれがバレて、後でゼウスにきっつーいお灸をすえられるわけですが

ともあれ人間は火を手にしました。

あとの歴史は、みなさまご存じのとおり。

 

何かを知ってしまったら、もう、知らなかった時の自分には戻れない。

知らなかったほうがよかった?

それは誰にもわからない。

ゼウスが正しかったのか、プロメテウスが正しかったのか?

 

でも、そうだな、少なくとも私は

「かわいそうだから」と言って火を与えたプロメテウスを、嫌いにはなれない。

そして、火も欲しい。

たとえそれが「ゼウスの意に反していても」

私は知って、知って、知り続けたいかもしれない。

知り続け、求め続け、たどり着きたい。

たとえそこが、地上の楽園であろうが、果てのない荒野であろうが

歩き続けて、絶対にたどり着いてやる。

 

少なくとも私はそんな傲慢で貪欲な感じですし、

そういう人のことも好きです。

なーんて思いにふける、雨の日ですね。

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