今日、ちょいと調べものしてて得た知識が

「へーーーーー!」

って感じでおもしろかったのでご紹介。

 

「歌」の語源について。

以下、天下のウィキペディアさまから転記させていただきまっす。

 

「語る」ことは、事件や事象を聴く人にわかるように伝達することを目的とし、
そこに正確性や説得力が必要であるのに対し、
「歌う」ことは感情を表現することを主目的としており、
そのためには場合によってはもとの歌詞が判然としなくなることもある。

また、もっとも広い意味では、「鳥がうたう」などのように、必ずしも歌詞を必要としないこともある。そしてまた、ハミング(鼻音唱法)や母音唱法など
歌詞をともなわない歌唱方法もないわけではない。

しかし、「歌う」の語源は、折口信夫によれば「うった(訴)ふ」であり、
歌うという行為には相手に伝えるべき内容(歌詞)の存在を前提としていることもまた確かである。

徳江元正は、「うた」の語源として、
言霊(言葉そのものがもつ霊力)によって相手の魂に対し激しく強い揺さぶりを与える
という意味の「打つ」からきたものとする見解を唱えている。

 

へー!

歌うの語源は、「訴える」だったのか!知らなかった。

感情を「訴える」こと。そして、それで「魂を打つ」こと。

それが歌!

かっこいー。

どちらにしても、なんだかちょっと強気で、激しく、攻撃的で

圧倒的な力をともなう行為である。

聴く相手に、大きな影響を与える行為。

 

この世にはゴマンと歌があります。

おだやかな歌も、激しい歌も、悲しい歌も、楽しい歌も

どれも誰かの「訴え」であり

自分以外の誰かの心を「打つ」ためのもの。

 

前に歌の先生が言ってくれたことを思い出しました。

 

「自分の『ウチ(内側)』と『ソト(外側)』の違いの感覚は、とても大事。

創作とはそこから来るもの。

でも、この『ウチ』と『ソト』の境界線をなくして歌うことができたら

紗来ちゃんの声はきっと、とてもよく響く」

 

歌を作る時、いつも誰かのことを思う。

いつも自分のことを思う。

歌を作る場所は、誰かと自分との境界線の前。

そして、自分以外、誰もいないところ。

 

そこで作った歌を、たくさんの人の前で歌う。

境界線を飛び越える。

ぴょーんと越えて、心を打ちにいく。

私もそれがやりたい!

 

すごいものを作ったね。神様!

“ぴょーんと越えて、打ちに行く” への2件のコメント

  1. おはようございます
    なるほど納得合点です。

    歌の世界もなんか写真と似てますね。

    ぴょーんと越えて、心を打ちにいくは
    写真を撮りそれに魂を吹き込む作業をして
    ご覧くださいってアップします。

    自分が納得いかない時は一枚に数時間かけて作業します。
    ただストレートに響くなぁと思えば作業はしません。

    また音楽の力を借りると凄く見栄えがするから
    みなさんスライドショーなんかに使用するんですね。

    そう思うと音楽を生み出すって凄いことだといつも感銘してます

    1. 敷島さん
      やはり写真もそういう表現ですよね!
      方法は何であれ、誰かの心を打ちたくて、いろんな表現を模索するわけですね。
      とくに音楽は感情に直結しやすいというか
      いろんな場面で使えますね。
      映画で泣くのも、音楽があるからこそ!ってよく言いますね!

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