思うこと

誰かの一日と、この世界のこと

昨日、現在の「弱気」な自分について言及しましたが、

それについてコメントをいただいたり、

また別のところで「私も最近調子でなくて…」という話を聞けたりしました。

自分と同じときに、同じような状況にいる方を知ると

なんだか、どこか心強くなるというか、少し気が楽になる自分がいます。

ああ、みんな、なんとなく同じようなことを考えてるんだな、

苦しいのは私だけじゃないな、って。

やはり人間は、他とのつながりの中で生きる生き物だなあ、と思います。

 

しかし、思うのは、

たとえば、昨日一日辛かったな…と感じる人がいる一方で、

昨日が、人生で最高に楽しかった人たちもいるんだろうなあと思います。

昨日は大安だったのかな?

結婚式がそこかしこで行われていたようで、

まぶしい笑顔を、たくさん見かけることができました。

たとえ昨日が嵐だろうがなんだろうが、

人生の中で、大切な大切な時間を過ごした人たちも、いるのだろう。

 

当たり前のことですが、

おんなじ一日でも、人によってその内容は違う。

出来事も、感じ方も違う。

総じて幸せだったのか、幸せじゃなかったのか、みんなちがう。

みんな、それぞれの一日を送っている。

 

私が、嬉しくて飛び跳ねて喜んだ日に、

深い悲しみに出会って、痛いほど泣いた人もいるのだろう。

私が、なんだかつまんない一日だったなと思う日に、

生涯をかけた大仕事を、ついにやり遂げた人もいるのだろう。

みんな同じ時間の中で、みんなちがう一日を送っている。

そうやって、この世界を生きている。

 

私たちは、それぞれに独立した、別個の存在でありながら

でも、何かの「一部」という気がする。

「個」でありながら、「全」。

「全」でありながら、「個」。

みんなの中で、今日も生きている。

 

誰かが泣いたり、笑ったり、ふざけたり、怒鳴ったり、

料理をしたり、爆睡したり、瞑想したり、悪巧みをしたりしているときに

私はブログを書いている。

 

心は飛んでいかない。

心は、ここにある。

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