最近思う。

心は、チョウチョみたいだな、と…

 

普段生きていて、ふと思ったことや、抱えてる想いは

どこにゆくんだろう。

私は自分の心を表現したくて歌っているけど

それは蝶蝶みたいに、どこにゆくのかわからなくて、ふわふわ宙を舞っている気がする。

 

鳥も同じように空を飛ぶけど、

鳥の飛び方は、「目的地がある」ってかんじがする。

近場にしろ、遠いところにしろ、鳥はどこかを目指して飛んでいるように見える。

「どこかに行きたい」っていう気持ちが見える。

けど、ちょうちょは違う。

ふわふわ、ふらふら、ちょっと頼りない。

あっちにしようか、こっちにしようか、なんだか心もとないような

飛ぶというより、まさに舞うというかんじ。目的地なんて知らないような。

風にゆられて、ふわふわ、ふらふら。

 

どんな人も、心にいろんな想いを抱えて生きていると思うけど

その想いは、受け止めてくれる人がいて初めて、鳥のように飛ぶ。

目的地を知っているから、鳥のように飛べる。

けど、誰に受け止めてほしいのか、どこにゆけばいいのか

よくわからない想いは、ちょうちょみたいだ。

あてもなく、さまようように、風の中に舞っている。

 

今の普段の私は、そんなかんじ。

心はどこにゆくんだろう。

目的地を知らない心は。

 

私は、歌って、とても気持ちがよいとき、空を飛ぶ鳥になったような気になる。

はばたいて、自由で、空が好きで、どこにでもいける気がする。

それは、歌を聴いてくれる人がいるからだと思う。

明確に目的地が見えてるかというと、そうじゃないんだけど

なんだろう。「行きたい」っていう気持ちだけはある。

けど、どこに行きたいんだろうなあ。

それはいまだにわからない。

 

ちょうちょには、「蝶道」という、ちょうちょの通り道があるそうな。

ちょうちょは、その土地に自分の好きな場所と言うか、ポイントがあるらしくて

ふわふわしてるように見えて、じつはいつも同じような道をたどっているらしい。

同じく、鳥の道と書いて「鳥道」というのもあって、

これは、「鳥しか通わないような険しい山道」を言うらしい。

なるほど、たしかに鳥でしか行けない高い場所はたくさんあるでしょうね。

 

まあ、私はちょちょでも鳥でもなく

地面を歩く人間です。

変な話ですが、私は小さい頃から、「地面を歩くことでしか移動できない」

ということに、堪え難い絶望感がありました。

毎晩のように空を飛ぶ夢を見て、本当に気持ちよくて、でも

「ああ、ちがう。私はほんとは飛べないんだ」

と思う瞬間に、自分の体がずしんと地面に落ちる夢。

ずいぶん前に、とある漫画の中の、

「自分の望みは自分の心次第で、全部叶うんだよ」

みたいな台詞を読んだ瞬間、

「なんでそんなこというんだ!だって私は飛べないじゃないか!」

と、思わず泣いてしまうほど悔しかったことがある。

これには自分でびっくりした。笑

そのくらい、空を飛べないことが、私にとっては悲しいらしい。

 

だから歌うのかもしれないなあ。

空を飛んでいるような気分になるから…

 

でも今はちょうちょ。ふらふら、ふわふわ。

ゆくあてもなくさまよう心がある。

どうしようかと思っていたけど、とりあえずこのままにしてみよう。

ちょうちょにはちょうちょの道があるらしいので…

 

 

今日は語ってしまいました。

土日、晴れそう!やったー!

明日は桜の中で歌うのが楽しみです。

春の曲を歌おう。

桜にも聴いてもらおう。

みなさんにお会いできるのが、たのしみです!

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