思うこと

三年

今年も、今日という日がやって来ました。

 

もう、三年も経つのですね。

今でも、きっと本当にたくさんの方が

あの日のことを鮮明に記憶しているのではないかと思います。

 

 

恥ずかしながら、半年くらい前にようやく初めて

チャリティーソングの「花は咲く」を聴きました。

本当に、いい歌だと思いました。

テレビのドキュメンタリーで、被害に遭われた方が

「この歌、いい歌なんだよ」と言いながら

鼻歌で口ずさんでいるのを見て、

目頭が熱くなりました。

 

 

最近、ようやく身にしみてわかりました。

人間、本当に、本当に悲しいときは

悲しい歌なんて、歌えないんだということ。

 

私は今までさんざん、「悲しみ」だとか「暗闇」だとか「孤独」とか「絶望」とか

そういったテーマを歌って来たつもりだったけど

本当に、本当に悲しいとき

本当に、本当にうちひしがれたとき

そんな歌は、絶対歌えない、と思いました。

 

 

私は高校生のとき、沖縄の民謡に惚れ込んで

学校の授業の一環で、論文もどきのようなものを書いたことがありました。

沖縄の民謡についていろいろ調べていくと

それらは、どれもおだやかで、明るく、

どこか何かを茶化したような歌が多かったです。

 

ある本にはこんなことが書いてありました。

「沖縄の歴史は、苦難の歴史。

常に他国からの侵略に苦しみ、大切なものを奪われてきた。

その中で、人々がつくり、歌ったのが民謡。

苦しい時こそ、楽しく生きるために

悲しい時こそ、笑うために

沖縄の人々は、歌を歌った」

 

 

この世界には、悲しいことが、本当にたくさんあります。

悲しみの大小は人それぞれ。

比べることも、その人になって感じることも出来ません。

それでも、ただただ、どうしようもない悲しみが、

この世界にはどうしても存在する。

愛おしく、かけがえのない人、場所、時間を

失うということ。

 

 

もう歩き出せない、もう進めないと思う時もあります。

未来に希望を抱けないときも、本当にあります。

けれども、人間はきっと、そんな中でも、

心の奥底ではこう考えてる。

「どうやったら、笑えるようになるだろう」

 

そのときに、歌はきっと人を救う。

たくさん泣いて、たくさん苦しんで

それでも、いつか笑いたいと思うとき

歌は人を救う。

音楽だけじゃなく、ありとあらゆる「芸術」と呼ばれるものは

それらにしか、救うことができないものがある。

 

私自身が、そういった歌を作れるのは

もっとずっと先のことかもしれませんが

私は作り続け、目指し続けたいと思います。

 

誰かが、笑って生きられるように。

自分自身が、笑って生きるために。

 

 

今日の日までの、すべてのできごと、すべての経験、

出会ったすべての人

出会わなくても、同じ時代に生きる方、生きた方々へ

本当にささやかながら、お祈りをささげます。

2 Comments

  1. 本当に悲しいときは悲しい歌歌えない。。。ハッとしたよ。

    音楽やってて鬱煩ってる人がいて、一番ひどい時に出来た歌が一番ポジティブだったって言ってたのを思い出したよ。しかもそういう人二人いた。^^;

    それはそうかもね。すごく「そうだ!」って思った。;

    小澤さんの曲も悲しいの多いって言われるし、自分のも悲しい感じの歌詞多く入ってるけど、それって割となんとなく過ごしてるからこそ、そういうのができるのかなぁ。と考えたり。

    1. ぶまくん
      本当にそうだよね。。。
      悲しい歌が作れる時は、ある程度心が冷静になってるときというか。。。
      時間が経ったり、ある程度受け止めきれるレベルの悲しみだったり。

      本当に苦しい時は、とてもそんな歌は歌えないんだよね。
      傷に塩ぬるようなものだよ。笑

      案外、世の中にたくさんある明るくて元気のいい歌は
      すっごく苦しんでる人が作ったのかもしれないね!

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