今日は朝から、なんだか知らんがセンチメンタルです。
そんな日ありませんか?
特に何があったわけでもないのに、なーんとなく心がしくしくするような日。
何をしてても、どこか切ない。
ごはん食べても切ない。
仕事してても切ない。
甘夏を切っててもなんだか切ない。
むおぉ~もやもやする~
忙しいときはそんな切ながってる余裕ないんですけどね。
一息つくと、ふとやって来るのですよ…センチメンタルというやつが…
そういえば、こないだのライブの後に友人たちと話していて、
「紗来の音楽はどこか切ないね」
と言われました。
たしかに。切ないの、好きだ。
昔から、
すっごくうれしいことや楽しいことがあって
どんなに心が喜びで満たされても
数パーセントの切なさは絶対に存在するのです。
たとえば子どもの頃。
夏の家族旅行が大好きで、とても楽しくてそりゃエンジョイするのだが、
2泊3日の行程だったとしたら、2日目の昼くらいにはもう切なくなってきちゃう。
次の日帰るのが、さびしくてたまらないのです。
旅行は楽しければ楽しいほど、余計に切なかった。
美しい風景を見たときも切なかった。
昔うちの裏山には広い草原があって、よく犬を連れて遊びに行きました。
夕時の景色が本当に素晴らしく、金色に輝く草たちの波に、いつも息をのみました。
あまりにも美しくて、切なかった。
どうしてかはわからないけど、とても切なかった。
たぶん、いつか失ってしまうと思うから
切ないのだと思います。
喜びも感動も、ずっと続くわけじゃない。
楽しい旅行は必ず終わる。
美しい景色はその一瞬しか見れない。
世界は常に変わっていく。諸行無常。
だから新しいものに出会えます。
だからこそ生きていけます。生きることは、変わることでもある。
でも、そのときその瞬間に感じた喜びや感動は、
抱きしめて離したくないほど大切なのです。
過ぎ去ったら過ぎ去ったで、きっと忘れて大丈夫になるけど、
でもその喜びの瞬間は、ずっとこの瞬間が続けばよいのに、と
絶対に失いたくないと、そう思ってしまうのです。
思春期のときには、私の中にはこんなに思い出がたくさんあって
そしてこれからも増え続けたら、私は生きていけるんだろうかと考えたことがあります。
思い出がいっぱいで、思い返すたびに切なくて
そんなもので体がいっぱいになったら、どうすんだ。
毎日毎日切なくて苦しいじゃないか!と…
大人になるにつれて、
ああ案外人間は丈夫にできてる、
思い出を少しずつ忘れながら、図太く生きていけるんだって
そう思えるようになりましたが。
デヴィット・リンチ監督の映画で「ストレイト・ストーリー」というロード・ムービーがあり、
この映画大好きなんですが、主人公のおじいちゃんのセリフで、忘れられないものがあります。
「年をとって困ることは?」と聞かれたおじいちゃんはこう答えます。
「昔を覚えていることだ」
なんだか話が膨らんじゃいましたが、
人生とはまさに切なく長い旅であります。
切ないのは、喜びを知っているから。
寂しいのは、ぬくもりを知っているから。
悲しいのは、幸せを知っているから。
たっくさん切ない思いをして、たっくさん苦い思いもして
だからこそたくさん喜んで遊んで楽しんで
夢中で生きていったらいいと思います。
って、こう色々書いてる間に、センチが薄れてきました。
おなかすいた。笑
やっぱり人間、哲学より食欲ですな。
生きる欲望はけして尽きないのである。
ふたつよいことさてないものよ。
愉しさがあって切なさがあってひとつなんだね。
いろんな感情が体験できて、それが詩になって、音楽になって、人の心を動かす。
心が動かされた人々はつながる。
よくできてるね、宇宙は。
おお!ふたつよいことさてないものよ!
ほんとだねえ〜
なぜか人間は反発するふたつのものごとで成長していくのよねえ
宇宙は不思議!